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序) 「自殺するならこういう時なのかもしれない」



「自殺するならこういう時なのかもしれない」

長年とあるゲームの開発に従事した旦那が、晴れてタイトルリリースを迎えたその日、突然そう言った。

 ひとつの仕事を成し遂げ、尊敬できる仲間や愛すべき家族がおり、今の自分には何の不安も恐れもない。
 燃え尽き症候群じゃないけれど、心が小気味よく凪いでいて、自殺するとしたら、こんな時なのかもしれない。

自分にはこれしかないと身一つで業界に飛び込んだ、単なるゲームバカ。
「俺は死ぬまでエンタテイナーでありたい」と、空いたティッシュ箱を履いて歩くような男が、突然そう言った。

そんな男にこうまで言わせるそのゲームとは、一体どんな代物なのだろう。
そういった単純な興味に駆られたことが、第一のきっかけである。

しかし私が約15年ぶりにゲームコントローラーを握ったことには、どこか後ろめたさの中に正当性を伴った、別の意義があった。
長い長い開発期間中、この男を拘束され、家庭や生活は蔑ろにされ続け、家事育児の9割をこなしながら自身の仕事を両立させる日々にパンク寸前だった、そんな私の〇年間に対する鎮魂のために、私はそのゲームのスタートボタンを押した。


人喰いの大鷲トリコ

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